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人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか? 人生の目標と目的の違いとは?

人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか?
ヨッシー店長
もし突然死しても、悔いの残らない人生を日々歩んでいきたい。
どうもヨッシー店長です。

 

ここ数ヶ月、日々の業務に追われ、“インプット”(新しい知識や体験など)の量が大分減っていました。

そんなこともあり、最近、意識的に読書をしています。

 

たまに哲学書なども読むのですが、

改めて

 

人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか?

 

を考える機会がありました。

 

そんなこともあり、今回は久々に『ヨッシー哲学』を綴ってみたいと思います。

 

ヨッシー店長
ヨッシー哲学』とは、ヨッシー店長が考える“答えのない答え”です。

今回の哲学は、自分の娘たちにも伝えたいと思っている内容です。

もし僕が突然死したら、うちの娘たちに『お父さん、こんな考えを持っていたよ』と、お伝え頂ければ幸いです(^-^;)

 

 

人生の目的は、ズバリ「魂刻み」!

いきなり結論から書きますが、

「人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか?」の答えを一言でいうと、

自分は

 

「魂刻み」

 

だと考えています。

※ヨッシー店長の造語。

 

『え?』と思った方、安心して下さい。ヨッシー店長は成城石井くらい正常です。

 

えーっと(^-^;)、どういうことかというと、詳細は旧ブログの「「人は何のために生きているのか」を哲学してみる」という記事で、以下のようにまとめています。

 

  1. いわゆる『魂』と呼ばれる存在は“ある”と考えている。
  2. 魂は基本的に外側世界(あの世)にいるが、意識的に内側世界(この世)に来て人間や動物の体に宿っている。
  3. 内側世界(この世)に来る理由は、「人生から得られる経験を、魂に刻み込むため」だと考えている。
  4. 経験を魂に刻み込む理由は、その先の世界に行くためのステップアップのためだと考えている。

 

はい、大丈夫ですよ、成城石井です(笑)

 

つまり、この世に生まれ、生きていく意味は、「様々な経験をするため」と自分は解釈しています。

 

ちょっと話が逸れますが、この世界の構成は、ゲームの『ドラゴンクエスト』で主人公に入り込んでプレイしている状況に、似ているなーと感じています。

 

 

この二重構造(現実世界とゲームの世界)が、そのまま「この世にも適用されているのではないか」と感じています。

 

ドラクエの世界に完全に没入することができれば、三重構造になるともいえますね(笑)

三重構造
外側世界(あの世) → 内側世界(この世) → ドラクエ(ゲームの世界)

 

映画『マトリックス』は「現実世界とプログラムの世界」なので若干違いはあるものの、二重構造の概念的には同じだと思います。

 

ヨッシー店長
上記はあくまでも個人的な考えであり、実証する方法はありません。
実際に自分が死ぬまでは…(^-^;)
ただ…、上記の考え方だと、色々と“腑に落ちる部分”が多かったんです。

 

ということで、自分が考える人生の目的は「魂刻み(様々な経験をする)」という結論に至っています。(43歳現在での結論)

 

 

人生の「目標」と「目的」の違いは?

人生の目的は「魂刻み」と書きましたが、自分は

「人生には『目標』と『目的』の2種類がある」

と考えています。

 

具体的にいうと、

 

  • 人生の目標 → 子供を立派な大人に育て上げる、経済的に成功し選択肢の幅を広げる、精神的な安定を得て豊かな日々を過ごす…など。
  • 人生の目的 → 人生で得られる経験を魂に刻む。

 

といった感じです。

 

人生の目標はあくまでも経験値を増やすための方向性であり、人生の目的は“そもそも”の根本的なものを指します。

 

イメージ的には、中心部に『人生の目的』があり、その外側に様々な『人生の目標』がくっついている感じでしょうか。

 

一般的には『人生の目標を達成しよう!』と人生を歩む人が多いかと思います。

でも実は無意識レベルで人生の目的を感じ、その結果が『人生の目標を達成しよう!』に繋がっているような気がしています。

 

ヨッシー店長
自分はこのような考えを持っているので、常に「人生の目標を立てて、達成しよう!」と心がけています。

「自分の飲食店を開業させよう!」「サラリーマンじゃない働き方をしよう!」「子供たちを分別のある大人に育てよう!」などの目標も、その中心部にある『人生の目的』が大きな原動力になっていると思っています。

 

 

刷り込まれた人生観への疑問

ちなみに、自分が生きてきた中で「何故上記のような考えに至ったか」というと、これは「若い頃に感じた疑問」が大きく影響しています。

 

その疑問とは、親や学校から言われていた「人生はこう歩むと幸せになれる」という人生観

 

具体的にいうと、『進学校に進み、偏差値の高い大学に入学し、大手企業に勤め、結婚し、子供を産み、定年退職するまで真面目に働く、経済的に豊かであれば人生は幸せである』という人生観です。

 

自分が10代の頃(30年前)までは、終身雇用制度、年功序列、バブルの残り香、老後は年金で安泰、などの考えがまだまだ残っていたため、上記のような人生観は“割と一般的”でした。(自分の母もそうだったと言ってました)

これ↓が流行っていた頃(笑)

 

ただ、自分はこの人生観、いわゆる「敷かれたレール」に、10代の頃からとても違和感を持っていました。

 

「テンプレート化(汎用化)された人生が良いはずがない」と。

 

また、敷かれたレールと同様に、

これらの事にも、10代の頃からずっと違和感を持っていました。

 

ヨッシー店長
同世代でこのような考え方は、当時ではマイノリティーだったかもしれません。
高校時代、自分の周りは学生生活を楽しんでいた人も多かったですが、自分は常に「人生って、いったい何なんだ?」とずっと悩んでいました…(^-^;)

しかし今思えばこの違和感は、間違っていなかったように思います。

現に『画一的な知識を増やすためだけの教育の縮小』『新卒一括採用の縮小』『汎用化された働き方への変革意識』など、社会がどんどん変わりつつあります。

また、このような考え方を持っていたため、同世代の人に比べると「人生の方向転換が早い段階(若い時期)で出来た」と感じています。

これは本当にラッキーで、おかげで「自分が納得する生き方」に40代で辿り着くことができました。

 

そして、10代半ばであることに気付きます。

それは、

「人生って、もっと違う生き方があるのではないか?」

ということ。

 

子供の頃から常に天邪鬼であった自分ですが、10代後半でこれらは確信に変わりました。

「テンプレート化された人生は、自分の生き方ではないな」

と。

 

そして当時、大手企業の倒産(山一証券の破産など)、年功序列制度の不確実さ、就職氷河期世代なども重なり、

「これからの時代は“経験値の高い人”だけが生き残っていくだろう」

という考えに至りました。

 

当時、他力本願(他者に依存)で生きていると、何かあった時(倒産で職を失う、リストラにあう、大災害に見舞われるなど)八方塞がりになると感じていました。

そして、人生の経験値が高ければ「タフに生きていける」と考えました。

 

 

あの世に財産は持っていけない、ただし…

社会に出てからも、上記の考え方は随時アップデートされていきました。

 

さらにプラスして、『経済的に豊かであれば、人生は幸せである』という考え方は、

“浅はかである”

ことを悟りました。

 

つまり「経済的に豊か ≠ 幸せな人生」ということです。

 

経済的に豊かであれば「人生における自由度や選択肢は増える」ので、もちろん良い面もあります。

しかしながら、それは決して「幸せな人生と=(イコール)ではない」と感じています。

 

幸せになるのに、経済的豊さは”多少”は必要だとは思いますが、必ずしも”多く”は必要ないと思っています。

 

むしろ「経済的に豊かであることよりも、精神的な側面が豊かでないと、幸せにはなれないと確信しています。

 

「経済的に豊かであることが、それ程大事なことではない」という意味で、ハリウッド俳優のキアヌ・リーヴスがこんな格言を言っています。

あなたの自宅がどれだけ大きくても、乗っている車がどれだけ見栄えがよくても、銀行口座の残高がどれだけ大きくても関係ありません。

私たちの墓の大きさは同じです。謙虚に生き続けましょう。

 

ココヘッドさんの『キアヌ・リーブスの壮絶な人生と6つの格言』という記事より抜粋

 

自分には、『経済的な豊かさを目指す人生よりも、どう生きていくかを考える人生の方が大事だ』とキアヌが言っているように感じました。

 

まあ、そもそもどんなに経済的に豊かになっても、あの世に財産は持っていけませんからね…。
(^-^;)

 

自分は「魂に刻まれた経験だけは、あの世に持っていける」と考えているので、経済的な豊かさよりも「魂刻み(様々な経験をする)」を大事にしています♪

 

 

ちょっと話が逸れますが、戦後の日本は「精神的な豊かさ(心の豊かさ)」よりも、「物質的豊かさ(お金がある、物があるなど)」を重視してしまった感が否めません。

現在の日本社会では、「精神的な豊かさは、置き去り」になっているように見えますね。

 

ヨッシー店長
個人的には、日本は「精神的貧困国」だと感じます…。(昨今は物質的貧困国にもなりつつある気もしますが…)

 

 

人は何故、幸せになる必要があるのか?

これらを理解した上で、新たな疑問が出てきました。

 

それは

「人は何故、幸せになる必要があるのか?」

ということ。

 

『え、そんなの当たり前じゃん』と言われたらそれまでですが、

アリストテレス、パルカス、プラトン、ソクラテスなどの哲学者は、声を揃えて皆こう言っています。

『生きている意味は、幸せになることだ』

と。

 

確かに自分もそうだと思っています。

ただ…

「幸せになることを、何故目指すべきなのか?」

という“根源にある理由”は不明なままです。

 

これに関しては、哲学者たちもそれぞれ意見があります。

 

自分の考えに一番近いのは、ソクラテスかもしれません。

 

プラトン著『ソクラテスの弁明』の第17節で、

この世界で最も価値がある善なる行いは、お金を稼ぐことでも、自らの健康と容姿を維持することでもなく、「自分の魂をより優れた善なるものにするという魂への気遣いにほかならない」

と説いています。

 

自分はソクラテスのように神は信じていませんが、前述した「魂刻み(魂に様々な経験を刻む)」に関しては、どことなく共通の考え方といえるでしょう。

 

自分が誰かに『人は何故、幸せになる必要があるのか?』と問われたら、

「幸せになる方向へ向かえば、人生の目的(魂に様々な経験を刻む)を達成しやすくなるから」

と答えることでしょう。

 

 

「人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか?」まとめ

ということで、今回は「人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか?」に関して哲学してみました。

 

自分が出した答えを整理すると…

 

 

となりました。

 

今回の考えは、あくまでもヨッシー店長の個人的見解なので、誰かを否定したり肯定するつもりはありません。

自分のような考え方の人もいるでしょうし、そうではない人もいると思います。

 

ここまで綴ってきたことは証明できることではないので、妄想といえばそれまでだとも思っています。

 

ただ、自分が生きてきた43年間の人生で「魂に様々な経験を刻み込むために、人生を歩んでいる」という考えは、実に“しっくりくる答え”だと感じています。

また、娘の優がダウン症で生まれてきて、より「人生には意味がある」と感じています。

 

一個人の考えではありますが、もし将来娘たちがこの記事を読んで、人生の視野を広げる“一つのきっかけ”になったら、ちょっと嬉しいなーと思っています。(遺言的な(^-^;))

 

妄想的長文に最後までお付き合い頂きありがとうございましたm(_ _)m

 


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